日本陸海軍戦史研究室

現在、高松宮日記の読み込みをしております。

高松宮日記と戦史 その2 高松宮日記にみる「ドゥーリットル空襲」

 1942(昭和17)年4月18日、米空母「ホーネット」を発艦した16機の米陸軍爆撃機B-25は、突如東京を空襲した。この空襲は日本側の錯誤もあって、奇襲となってしまった。山本五十六連合艦隊司令長官がミッドウェー作戦実施を決意させた出来事として有名であるが、日本海軍は米軍の動きを全く察知していなかったのであろうか。「高松宮日記」には興味深い記述があったので紹介する。

 

 1942年3月10日、「高松宮日記」に東京方面への敵空襲を懸念する記述がある。この日には、

 

〇桑港ラヂオ九日 「強力ナル聯合軍ハ太平洋ノ或方面ニ於テ日本側ニ大攻撃ヲ行ハント計画シアリト華府発表セリ」

 

〇「ラエ」「サラモア」に艦上機40、大型機八出現ニ伴ヒ三月三日頃「ミッドウェイ」方面哨戒機多数ナリシト、小笠原、塩屋崎方面ニ潜水艦出現セル等ヨリ、東京方面空襲企図ニテ敵機動部隊ノ現ハルコトアルベシト警戒ヲ始ム。(「高松宮日記」第4巻 P168)

 

と興味深い記述がされている。また聯合艦隊においても「三月十日通信情報によりウェーク島の北方に米機動部隊らしい電波を捕捉し、聯合艦隊は警戒部隊が出撃するなどこれに対処したが敵情を得なかった」(戦史叢書29「北東方面海軍作戦」P154)。また第五艦隊参謀長であった中澤佑大佐の回想においても「聯合艦隊としてはこの時以後特に本土空襲に対して警戒していた」(前掲「北東方面海軍作戦」P154)という。

 

 また当時聯合艦隊参謀長であった宇垣纒少将の回想記「戦藻録」には、3月11日の項に「三月三日頃布哇方面飛行機警戒厳重なりしと本邦近海敵潜水艦の行動活溌化等より、南北呼応し或は小笠原、東京方面空襲するの前提とも見らるるに至りたるを以て、対米艦隊作戦第三法警戒部隊の適時出動及南西方面に向ひつつある第五航空戦隊を父島方面に廻航せしむるごとく発令す」(原書房、宇垣纒著「戦藻録」P93)とある。

 

 そして「高松宮日記」の3月11日項には「敵機動部隊ラシキWMVS(四二六五kc) 一八三〇ノ位28°N 164°E(ウェーキ北方540’)(無線情報)」と記述され(前掲、「高松宮日記」第四巻P170)、他にも偵察報告等の記述もあり、軍令部では米機動部隊による東京方面への攻撃を警戒をしている様子が見られる。また同月12日には鹿屋空一式陸上攻撃機全力が木更津空へ移動、翌日から敵機動部隊探知哨戒の準備をする記述がある。なおこの日、海軍内では第二戦隊の訓練電を聯合艦隊が誤って警戒配備についていた第二十一航空戦隊の電波として通報してしまうという混乱も生じていた。

 

 13日には聯合艦隊が「対米艦隊作戦第三法」(米艦隊が動いた場合の聯合艦隊作戦要領)が発令され、これに関連して潜水艦部隊等も東京方面への米艦隊攻撃に備えていた。14日の殿下の日記には、午後から日光へスキーに行くつもりであったが、「米機動部隊ガ来ルトテ(私ハソンナ気ガセヌケレドモ)警戒中ナノデ止メタ」(前掲、「高松宮日記」第四巻P178)とあり、宮様の中では米機動部隊の来襲はないと判断されていたようである。

 

 ちなみに、この時の米機動部隊による東京方面への攻撃に対する警戒は空振りに終わった。宇垣の「戦藻録」の3月15日の項に「敵の飛行機哨戒布哇ミッドウェー方面に活溌にして通信輻輳せるは、過般の我飛行艇による布哇夜襲及ミッドウェーの偵察に基き、我よりの奇襲あるものとして警戒せるものと認めらるるに至れり」(前掲「戦藻録」P94)と二式大型飛行艇による「K作戦」(真珠湾空襲作戦)での米側の混乱と判断して警戒を解いている。

 

 「高松宮日記」には17日にも通信諜報によりウェーキおよびミッドウェー方面に敵艦艇数隻ずつが行動中であるという情報を得ていたが、18日の聯合艦隊の対米艦隊作戦第三法を止めるよう命令が発出されたことで、軍令部も警戒を解除したのか、宮様のこの方面における関心は薄くなったようである。

 

 ところが、同月28日、再び米機動部隊の動静が通信諜報により伝えられた。

 聯合艦隊参謀長よりの通報として「通信諜報綜合 敵機動部隊三月二十日真珠湾出撃、AE〔パルミラ〕方面ヲ経テ、二十七日二三〇〇マーシャル諸島ノ東700’附近ニ達セルモノノ如シ」(前掲、「高松宮日記」第四巻P199)という記述がされている。宇垣の「戦藻録」にも29日の項に「昨夜遅くなりて暗号長通信諜報を綜合して、本朝敵機動部隊は、マーシャル東方より空襲すと通信を以て判断」した記述がある。ただし宇垣はこれを「第四艦隊参謀長に軽き意味にて其判断を傳へたり。本朝何事も起らず誤判断なりしやも知れず」としていた。先の件(K作戦による米側の反応による混乱)もあってか、大したことはないだろう、と考えていたのであろう。宮様の日記でも報告があった内容を記述しているのみで反応がないところから、同様の判断をしたと考えられる。

 

 この時の判断がどのように影響をしたか。聯合艦隊主導によるミッドウェー作戦が急速に実行へと向かっていくことになるのである。