「高松宮日記」は、昭和天皇の弟宮である高松宮宜仁親王が、海軍兵学校生徒時代から終戦2年後までの27年間にわたりお書きになられた日記で、中央公論社(現、中央公論新社)より全8巻で翻刻、出版された。
日記の内容は、昭和天皇の弟宮として、あるいは海軍軍令部員として、政治的、軍事的中枢にいた宮様は、時には苦悩し、時には軍部に対して批判的に見たりと、その時の率直な感想や意見を書き記している。
昭和激動期に日本の中枢にいた宮様だからこそ知り得たものがこの日記には克明に記述されているが、戦史研究の面からみると、戦後に判明していなかった戦史に関する重要なことが詳細に書き留められている。特に私が注目をしたいのが、連合軍とくに米国に対する情報収集、通信諜報である。これまでの研究では、日本軍は敵国の情報収集について軽視し熱心ではなかったと捉えられがちであるが、宮様の日記を見ると頻繁に通信諜報に関する記述が多く出てくる。その中には、戦史研究において見逃すことのできないものも多くある。これは宮様が軍令部員という立場であったからこそ知り得たものであるが、その分析内容を見ると、日本軍の敵情報収集について再考する必要があると感じるであろう。そのほかにも、戦史においてこれまで触れられていなかったものがある。
また軍部に対してだけでなく、政府の施策についても批判的な意見を持っていたこともわかる。文面の端々からは、政府に対する冷ややかな感想と自身のお立場を踏まえた上での焦慮も読者には伝わってくるであろう。
全8巻のそれぞれの収録内容は以下の通りである。
第1巻 大正10年~昭和7年(大正11、13、14年、昭和5、6年欠)
第2巻 昭和8年~12年
第3巻 昭和15年~16年(昭和13、14年欠)
第4巻 昭和17年
第5巻 昭和17年~18年
第6巻 昭和18年
第7巻 昭和18年~19年
第8巻 昭和20年~22年(付、年譜・索引)
またこの日記の出版にあたっては、以下の人物たちが編纂に携わっている。
原文検閲・脚注作成担当
市来俊男、野村 實、吉松正博、服部雅徳
宮様との関わりが深かった人だけでなく、海軍史に造詣の深い、あるいは当事者であった元海軍軍人が多く編纂に携わっていたことから、この日記のもつ歴史的価値がわかるであろう。
さて、当ブログにおいては、高松宮日記全8巻のうち、大部分を占めることになる大東亜戦争期について取り上げていこうと思う。大東亜戦争期の戦史研究において、これまでわからなかった部分や、それまでの認識を改める必要がある可能性があるからである。
更新については、不定期かつ取り上げる期間はバラバラとなる。これは、私自身が今研究を進めている「ガダルカナル攻防戦」や「一木支隊」と関係しているからである。この2つの戦史を海軍視点、あるいは宮様視点から調べようということから始まったからである。また宮様の日記について以外の話題についても触れていくつもりであるので、不定期更新となる。この点については了承願いたい。