日本陸海軍戦史研究室

現在、高松宮日記の読み込みをしております。

高松宮日記

戦史研究室日誌 2023年12月5日 海軍と陸軍が交わした電文内容にみる文章表現の違い~高松宮日記より~

本日は、海軍と陸軍の交わした電文の一例を取り上げて、それぞれの文章表現の違いを比較してみようと思います。 高松宮日記昭和17年4月9日の記述に、南方作戦が一段落をし海軍の第二艦隊がその任を離れ南西方面艦隊に引き継ぐことになり、ともに南方作戦に従…

高松宮日記と戦史 その3 功四級金鵄勲章叙勲の顛末

殿下は理由は定かではないが、かねてから自身の功四級金鵄の叙勲について強く拒絶をしていたようだ。昭和17年3月21日の日記には、 今朝ノ新聞ニ私ガ功四級ヲイタダイタ記事アリ、昨日モ人事局長ニ昨日ハ陸軍ノ皇族ノ叙勲ガ出テヰタノデ、私ニツイテハ従来ノ…

高松宮日記と戦史 その2 高松宮日記にみる「ドゥーリットル空襲」

1942(昭和17)年4月18日、米空母「ホーネット」を発艦した16機の米陸軍爆撃機B-25は、突如東京を空襲した。この空襲は日本側の錯誤もあって、奇襲となってしまった。山本五十六連合艦隊司令長官がミッドウェー作戦実施を決意させた出来事として有名であるが…

高松宮日記と戦史 その1 高松宮日記について

「高松宮日記」は、昭和天皇の弟宮である高松宮宜仁親王が、海軍兵学校生徒時代から終戦2年後までの27年間にわたりお書きになられた日記で、中央公論社(現、中央公論新社)より全8巻で翻刻、出版された。 日記の内容は、昭和天皇の弟宮として、あるいは海軍…